「冥界のメリークリスマス」にも「アイアイエー島の春風」にも、「主が欠落を抱えている」という共通点があって、その主は「とっくにその欠落とともに生きることを受け入れていた…はずだった」というシナリオ構成で、これFGOイベントの十八番といっていいくらいよく使われるし、毎回悶絶してる気が。
— たられば (@tarareba722) 2020年03月16日
これは何度か書いた気がするんですが、「わたしたちは同じものを持っている」という物語よりも、「同じ欠落を抱えている」という物語に、より共感してしまう性質があるんじゃないかと思っています。それは物語の消費のされ方に関わっている気がしていて、まあこの話はいずれまた機会があれば。
— たられば (@tarareba722) 2020年03月16日
@tarareba722 型月作品には、欠落を受け入れて現状を生きるキャラクターが他者との関わりから(欠落をなくすのではなく)欠落への向き合い方を変えて前に進むことになる物語が多いと思います。
維持と変化の太極図のようなイメージで。— 遊藍 (@ainiasobu) 2020年03月16日
@tarareba722 『欠落』という話であれば、西尾維新作品にもよく出てきますねぇ・・・。少女不十分なんかまさにそう言うテーマでした。
— むきな (@mukina24467) 2020年03月16日
@tarareba722 アーチャーインフェルノもそうでしたねえ
— けいくん (@kgsdsa) 2020年03月16日
この2つがぶっ刺さった身としては、私の抱えた欠落が何か共鳴してるのやもしれぬ、ということだなぁ……
— 天宮結城 (@JUNKtion_AY) 2020年03月17日
冥界のクリスマスは良いシナリオだったなあ
あれを踏まえてエレちゃんの絆礼装のフレイバーを読んだり、こないだのバビロニアラストを見ると感じるものがある
にしてもバビロニア最終話って何やるんだろう。あのあと書くものあったっけ。みんなで乾杯ってやろうにもメンバーほぼいないし。終局!?
— 藍吾 (@i5indigoblue2) 2020年03月18日
なーるほど……確かに……
— たかばし子 (@Dond518_845) 2020年03月16日
物語工学論がまさにこのノウハウの本だったなあ
物語の人物はみんな一人では完全ではなくて、完全性を求めて(あるいは維持するため)行動する、その行動の違いが類型の違いになると— 着る毛布を着込むみどり (@verdi_horimoto) 2020年03月17日
欠落を埋める、というのは古典的な物語様式なのだけど、FGOのサーヴァントたちはすでに自分の物語を生き終えてすでに欠落を埋めてるはずの人々なので、それを再確認する、みたいな形態になりがちなのかなとも思ったり。
— myrmecoleon (@myrmecoleon) 2020年03月17日
CROSS†CHANNELとかそういうところに刺さってしまったんだよな…
あれもどうしようもない欠落を抱えた人間の話なので— 麻耶 (@maya_redlight) 2020年03月16日
欠落した人物ってほんと型月の十八番だよね。ほんとに。だからzero言峰(ぶっちー脚本だけど)はタイプムーン峰よりも型月みが強い感じがする。ほかにも士郎、志貴、アルクェイド、シエル、秋葉、セイバー、アーチャー、琥珀さん、桜…枚挙に暇がねえ!
— こまつ (@ntghn) 2020年03月16日
ある意味ワンパターンとも言えるけどね