山南敬助は謎の人である。
新撰組を語る上では欠かせない有名人であるにも関わらず、その生涯はよく分からない事が多い。何せこの人前半生も不明で、近藤達と知り合うまでの経歴がわからない。もしかしたら脱藩したのではとも言われてる。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
剣は北辰一刀流、または小野派一刀流。もしくは両方とも。免許皆伝だったと言われるけど詳細不明。
近藤と立ち合って敗れた事から理心流に入門、無頼漢揃いの試衛館グループの中では例外的に穏やかな性格で、沖田から兄のように慕われていた。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
この時点での山南は同じ北辰一刀流の剣士である藤堂と違って近藤との距離が近く、理心流メンバーと同格の身内として扱われてる。何せ芹沢らと共に壬生浪士組を立ち上げた際は土方と同格の副長に就任しているのだから。
文武に優れた山南は無頼な集団を統率するのに欠くべからざらる人材だった。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
また一方で些細なことで激怒し、執念深さを見せる一面も都合が良かったと思う。温和で理知的ではあっても、舐められる事はない。
剣の腕が立つ。学もある。人格者だけど〆る時は〆る。忠誠心にも信頼がおける。修めた剣は天下の北辰一刀流と小野派一刀流で人脈にも期待できる。
正に完全無欠の副長。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
確証はないながら山南は芹沢派の暗殺にも参加したとも言われる。実際、その後で総長に就任し、引き続き新撰組の大幹部をやってるし。能力適性もさる事ながら、後ろ暗い任務を共有しない人間にこうした地位が与えられるとはわたしは思わない。近藤、土方、沖田、井上と一蓮托生だったと思われる。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
ところがここで山南の経歴は再び謎に包まれる。市街で斬り合いになって負傷してから少し後、山南の活動はぷっつりと途切れる。池田屋事件にも出動してない。
そして一年後、突如として山南は出奔し、沖田に捕縛されて連れ戻され、切腹して亡くなっている。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
それまで鉄の近藤派だった山南の謎の出奔の理由は未だ不明で、数々の憶測を生んでる。一年の間に何があったのか?
どうも負傷の程度は相当に重く、初めのうちこそ出動していたものの、やがて病を併発し、山南は伏せりがちになって誰がどう見ても現役復帰は不可能になりつつあった。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
近藤と土方は山南を恐らく気遣ったと思われる。文武両道で人格者で北辰一刀流と、山南と似た特徴を多数持つ伊東甲子太郎を入隊させ、新設した参謀に就けたのは恐らく山南の除隊を促し、業務を引き継がせるためだった。
局を脱するを許さずの新撰組だけど、杓子定規に病人にまで適応するわけがない。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
と言うか局の嫌われ者で健康体の武田観柳斎でも円満除隊できたんだから、皆から慕われてて名誉の負傷で病人の山南が除隊出来ないわけがない。
ところが山南は除隊せず、新撰組にとどまり続け、そして突如出奔してあっさり捕まって切腹する。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
この出奔も相当変で、
何故行方をくらまして即座に脱走と近藤達は判断したのか。
何故追っ手は沖田一人なのか。
何故山南は京都から歩いて数時間の大津なんて近いところにいて、あっさり追いつかれたのか。
何故沖田は迷う事なく山並みを見つけられたのか。
大体、穏当に抜けられた人なのである。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
思うに、剣も振れない、皆から置いていかれる日々の中、山南の頭の中でいくつかの事がぐるぐると回っていた。その中で一番大きかったのは藤堂と同じく、勤王か佐幕の葛藤ではなかったのかと。
彼は北辰一刀流で思想を涵養した人物で、本来は勤王思想と相性がいい。しかし新撰組は佐幕集団となる。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
竹を割ったような性格の藤堂は思想と仲間が対立した時、思想を選択した。しかし山並みにとっては多分近藤たちも思想と同じくらい大事だった。
そうした葛藤と、どうせ先行き短いと言う現実。そして生来の激情的な一面に、新撰組の今後と考えた結果が……
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
勤王志士として隊を脱し、新撰組の仲間として腹を切ってケジメをつける事で、思想と義理を一貫させると言う、とんでもなく不器用な最期だったのではと思う。
或いは伊東派への牽制や、実際のところは有名無実だった『局を脱するを許さず』に強烈な実例を付与する事で綱紀粛正に当てる考えもあったかも
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
いずれにせよ山南は従容として縛につき、永倉らから逃亡を勧められても頷かず、堂々と切腹して果てた。享年29歳。彼もまた若かった。
その死の故に、本来なら脱走が容易で規律も緩い新撰組には厳格で血生臭い鉄の規律のイメージが付与され、今に至っている。彼の死も新撰組の重要な一部。
— エリザ (@elizabeth_munc) October 3, 2024
何せ、読みすら「やまなみ」「さんなん」説がある…
— たーーーーっ(੭˙o˙)੭ (@pD1epkuzfNKcluN) October 3, 2024
前山邸で購入した本に池田屋後から切腹するまでの期間山南さんはうつ病を患っていたのではないだろうか?というようなお話が載っていてとても興味深い内容でした。
— でじー (@degyyyyy) October 4, 2024
地元と称する所に「山南」姓が無いとも聞いた。
「長南(ちょうなん)」さんはいるので、もじった変名説が。— クジャクオオカミ (@peacockwolfs) October 3, 2024
何となくですが、イメージ的には
やっぱり堺雅人さんを想像してしまいますねもっといえば半沢直樹に似た感じだったのかな、とも…
— ★☆まもの☆★ (@tadamasa_0909) October 4, 2024
比較的最近の偉人でも分からないことって多いんだね